2014年4月7日月曜日

西野 努 コラム「夢はもつべき?」 

[2013年12月号 FORCEより]

私は学生時代には全国大会に一度も出場したことがなかった。しかし、大学時代の同期にたまたま上手な選手がたくさんいて、大学の3〜4年を関西学生サッカーリーグ1部でプレーし、プロ選手になれた。私ともう一人、同じ大学からプロになったのが八十祐治氏。彼は選手引退後、弁護士となり、活躍している。彼と私はある意味対照的な人間だと思う。彼の講演を聴いて初めて知ったのだが、八十氏は、神戸大学のサッカー部でプレーしたいがために、1浪して、入学。私は、現役で入学し、先輩に誘われてなんとなくサッカー部へ入部。

プロサッカー選手になったのも、私の場合は、ただ一生懸命プレーしてたら、声がかかって、浦和レッズへ加入した(正直プロなんて考えてなかった)。しかし、彼はサッカー選手になることだけしか考えてなかったという。(プレー歴は、ガンバ大阪・ヴィッセル神戸・アルビレックス新潟・横河電機)
引退後も、彼は何か高い目標を打ち立てたいということで、難しい国家試験を受けなければならない弁護士の道を選ぶ。
要するに、八十氏は、つねに高い目標を設定して、そこへ到達する努力を繰り返し実現してきた。

一方の私は、いつも高い目標を設定することはなく、常に目の前にある挑戦や課題に必死に取り組んできた結果の積み重ねでここまできた。

「夢を実現することはすばらしい」と人々は言う。「目標を持て!」と人はいう。
わかりやすくて、すばらしいことだと誰もが納得する。でも、みんながみんなそうでなければならないとは決して思わない。

八十氏のように、夢(目標)を実現させることももちろんすばらしい。
しかし、今目の前にあることに必死で取り組んでいれば、それはそれで自然と自分にあった道が拓けてくることも事実。
山頂を見据えて、登り続けることもあれば、足下の一歩一歩を確実に踏みしめていけば、山頂にたどり着くことができる。

夢や目標を子ども達に強制していないかと自分を振り返る。
夢や目標を持つこと(イメージすること)が簡単になった今、そこへ至るプロセスの大切さが軽視されがちではないか。
日々の練習、単なる練習試合、毎日の宿題、毎日の遊び、挨拶、掃除。
そうしたことに一生懸命取り組まない人間が夢や目標を語ったところで、空想・夢想に終わる。

夢を語ること(目標を持つこと)目の前の現実に集中して一生懸命取り組むこと。
両方が大切。どっちが大切かと言われれば、私は後者だと言う。そのなかから、必ず目標や夢は目の前に現れてくる。
世の中の流れは、シンプルでわかり易いものばかりが、受け入れられる傾向。
しかし、人生や世の中は決してシンプルでわかり易くはない。
もっと自身に自信を持ちたい。

【このコラムは2011年5月〜2014年3月まで埼玉スタジアムサッカースクール会員向けに発行していた月刊情報誌FORCEに掲載されたものです。】

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