2014年4月7日月曜日

西野 努 コラム「親のできること」 

[2013年10月号 FORCEより]

私事だが、この夏に父親の古希のお祝いと、金婚式のお祝いを家族で実施した。自分の結婚式をハワイで開催し、国内では友人が中心となっての披露パーティーのみだったため、かしこまった式で親向けに挨拶することは初めてだったが、改めて、親がなにを自分たちに伝えてくれたか。何を自分たちは子ども達へ伝えていったらよいかを考える機会となった。

思い出せば、数限りなく様々なことが脳裏をよぎるが、中でも心に深く残っていることは、母親がいつも、姿が見えなくなるまで自分たち子どもを見送ってくれていたこと。実家からバス亭までは長くまっすぐの道なので、正直見えている背中が豆粒くらいになるまで見送ることができるが、必ず見えなくなるまでこちらに手を振ってくれていた母親の姿は忘れないし、今でも実家に帰るとそうしてくれている。今思い起こすと、「常に誰かに見守られている」という安心感をもらっていたように思う。子どもにとって、この“安心感”がどれほど重要かは、今いろいろな子どもや選手の指導に携わる立場としては痛感する。
父親からは、「本を読め、本は頭の栄養だ」「人のいやがることを進んでやれ」等々言われ続けてきた。いま、父親として同じことを子ども達へ伝えている。母親がしてくれたように、子どもを見送っている。

決して、自分の親をほめる訳ではないが、親としてできることがなんなのかを教えてくれたと思っている。所詮、親といってもできることは限られている。“親”という漢字が「木」の上に「立って」「見る」という構成なように、できることなんて見守ることくらいしかないのかもしれない。しかし、子どもを信頼して見守るということがいかに大変なことかは、今自身で実感している。

今の世の中、何でもそろっていて、[子どものため=子どもに苦労させない]という流れになっている。なんでもかんでも親が口を出し、親が手助けし、面倒を見がちになっている。子どもは守れば守るほど、弱くなる。一方で、こわごわとやらせてみたら、驚くほどに見事に何かをこなしてしまうことも多々ある。親としては、最低限のリスク管理だけをして、子どもを一人の人間として扱いたいと思う。そして、我慢強く、信頼して、見守るというスタンスも必要だと思う。

親離れ、そして子離れ。
自分にも言い聞かせている。

【このコラムは2011年5月〜2014年3月まで埼玉スタジアムサッカースクール会員向けに発行していた月刊情報誌FORCEに掲載されたものです。】

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